『主が導かれた“この集い”“この場所”で』
主にあって愛する兄弟姉妹の皆さん。私たちそれぞれ、「主の導きに
よりまして、ここ須賀川バプテスト教会の“群れ”に集い、“この場所”を拠点として、共に信仰生活を過ごしています。
これから先、主が導かれた“この集い”“この場所”で、私たちは何を
得、何をし、何を祈り求めるのでしょうか?
❏その一つは、“いこい”を得させていただくのです ローマ15:32
「その結果として、神のみこころにより、喜びをもって、あなたがた
のところへ行き、あなたがたの中で、共にいこいを得る事ができます
ように。」
この“みことば”にありますように、パウロは、ローマにある教会の、
その群れに集い、その場所で「共に“いこい”を得たい」と思いました。
私たちも同様に“この集い”“この場所”で『いこいを得させていただく」
のでございます。
この「いこいを得る」というのは、『共に』を意味する語、「再び」
を意味する語と『休止する』を意味する語の、三つが合わさってできた
言葉です。その意味は、『共に回復する』とか、『共に新たに爽やかに
なる』、『共に再び元気づく』でございます。
そういう事をひっくるめて、新改訳聖書では「共に“いこい”を得る」
と訳しましたが、これは本当に言い得た良き翻訳だと思います。
そのように、“この集い”“この場所”で私たち、何を得させていただく
のか?
時に、疲れた私たち、共に癒され、回復させていただく分けです。時
に、もやもやとした心持ちの私たちが、“この集い”“この場所”で、共に
新たに爽やかになり、共に再び元気づかせていただくのです。
そのようにして、私たちは、“この集い”“この場所”で、共に“いこい”
を得させていただく。しばしの休息に安んじ、満足を得、鋭気を養うの
でございます。
どなたが、それを実現して下さいますか? この教会の大牧者なる
イエスさまです。マタイ11:28
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしに来なさい。
わたしこそがあなたがたに“いこい”を得させる」
ここで、イエスさまがおっしゃった「“いこい”を得させる」という語
は、「共に」が付いていませんが、32節の言葉と同じであります。
すなわち、イエスさまこそが私たちに“いこい”をお与え下さる分けで
ございます。
ですから、私たちそれぞれは、「“イエスさま”に行く」という思いを
もって、“この集い”“この場所”に来る事に拠って、“いこい”を得る事が
出来る分けです。
❏もう一つ、“この集い”“この場所”で、私たち、『心満たされて、ここ
から、それぞれの“場”に遣わされて行くのであります。ローマ15:
23~24
「今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、
イスパニヤに行く場合は、あなたがたの所に立ち寄る事を多年希望して
いましたので、-というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらく
の間、あなたがたと共にいて心満たされてから、あなたがたに送られ、
そこへ行きたいと望んでいるからです。」
ここに語られていますように、パウロには、イスパニヤ(スペイン)
行き、そこで福音を伝える宣教計画がありました。
それが実現する折りには、それに先立ち、ローマにある教会の集い、
その場所で、まずはパウロ、心満たされ、勇気を得たいと思いました。
そして、その後で、教会から祈りをもって送り出されて、イスパニヤ
宣教に行きたいと望んでいた分けでした。実際、そのようにして彼は、イスパニヤ宣教に出向いたのでございました。
私たちもこれと同様で、“この集い”“この場所”で、励ましを得て、心
満たされ、勇気を得て、それぞれの“場”へと遣わされて行く分けです。
どんな者として遣わされるのでしょうか? キリストの証人としてで
あります。
すなわち、キリストと共に生き、キリストを現わし、キリストを証し
するためにこそでございます。
これは、私たちそれぞれに託された重大な使命でありまして、決して
生半可な気持ちでは到底果たし得ない大役です。
であればこそ、私たちは、“この集い”“この場所”で共に励ましを得、
心満たされ、勇気を得て、互いのために祈る祈りをもって送り出されて
行く必要がある分けです。
私たち一人一人、同じ「キリストの証人」として、共に「同労者」で
あり「戦友」ですから、“この集い”“この場所”で互いに思い遣り、互い
に励まし合いましょう。
ところで、キリストの証人として、私たちに望まれる振る舞いとは、
どのようなものでしょうか? Ⅰペテロ15:21
ここに、「立派な振る舞い」とあります。その表現から、どのような
イメージを持ちますでしょうか? 非の打ち所のない完璧な行動?
もちろん、それも素晴らしい証しになります。けれども、たとえ失敗
したり、上手く行かない場合でも、あるいは、ドン底の悲しみの中で、
主の恵みに支えられ、励まされ、誠実に生き、最善を尽くす。それが、一味違う、私たちの立派な振る舞いとなりましょう。
❏もう一つ、“この集い”“この場所”で私たち、共に何を望みましょう
か? 人々の救いであります。ローマ15:21
「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことの
無かった人々が悟るようになる」
この須賀川バプテスト教会、始まって29年。その最初に示された
みことばが、この21節でした。
確かに、これまでに、この“みことば”のとおりに、人々は救われて
きました。
これから先も、“この集い”“この場所”で、私たち、共に切望し、共に
祈り、そのために共に労苦したい事は、人々の救いであります。
この“みことば”の実現を喜び待ち望みましょう。私たちそれぞれに
とりましての、“あの方”の救いのために祈り、証しいたしましょう。